ヨッシーの語りべ日記
2014年1-2月
     
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 古道・小雲取越え

野竹法師、970m、ここには魂の入れ代わりの話しがある、

江戸享保の時代、野竹村に弥七郎と云う者が住んで居って、

突然亡くなり、哀しくって家族や周りの者達が声々に名前を叫ぶ、

その、お陰か蘇る、しかし、それからの弥七郎は、言葉も態度も変わる、

挙句の果て妻や子のことも知らない、

この野竹村に近江の国から来ていた木地師が、丁度同じく亡くなり

名前が弥七郎、精一杯の叫びが、浮遊していた、成仏出来ずの、

その近江の弥七郎の魂に届き、入れ代ったと記されている、

魂には、時間も距離もない、身体には、隙間の在る身体と隙間のない身体が在って、

隙間の在る身体には、霊・魂が入っていく、歩いて鳥肌の立つところ、そのときには般若心径、

古道稲葉根王子から下ったところに在る、圓教寺のお坊さまの話を添えて~


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 古道・発心門~本宮、

三軒茶屋跡すぎて、73号柱から入って、
展望台から、湯の胸大日山・川湯丸山眺望

ここに来ると、東京TV、萬田久子・山村もみじのロケ同行想いだす、
そのとき問いかけられた声、今も覚えている、「熊野詣」「伊勢参り」、
詣と参りどう違うのか、なるほどに至る答え、今も見つけれないが、
こぅ語っている、

俳句にある、5・7・5、これは音数ではなく拍数である、
だから、俳聖芭蕉程の人が、辞世の句、「旅に病んで」と字余りとした、

上5を5拍で詠んでいる、6音を5拍で詠む、その結果1音毎の速度が
定型の場合より速くなる、その結果、死を目前にする、芭蕉の切羽詰まった思いが、
ここに集中して現れる、

「旅に病み」だったら、、旅の途中で倒れた、
芭蕉の無念の思いは薄れて平板な句になってしまう、

俳句の定型575は、音数ではなく、拍数である、
それに類するリズムを大切にして、片や詣、片や参りとなっていく、意味合いは同じ~

一言で云ったら、ここまでの努力空しいがゴロがいぃから~


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 古道、小雲取越えをゆく

左、如法山609mに向かいての途上から天蓋森山・要害森山
大日山369m、熊野川備橋、本宮中学遠くに~

右、小雲取り、小和瀬近し33号柱すぎての眺望、
下に、左・東地区、右・大山地区

山の姿の左、白いの地肌に残る雪の右に凹としたところが在る、
この下近くに小和瀬地区、そこに小雲越えは降りる、

右に一直線・同じ稜線に見えるか分からないが、
そうじゃなく左端電波塔大雲取山966mはその後ろに位置する、

又その後ろに舟見峠の電波塔、東・大山の麓から右上にそびえるのが越前峠860m~


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 古道、小雲取越えをゆく

松畑茶屋跡の石柱の文字(51号柱すぎも同じ)教えて、
前3文字表面、後ろ3文字裏面、水準?四八二だと思うが~




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 古道、小雲取越えをゆく

尾切地蔵、下って右石畳みに生きる、セリバオーレン、


21  古道・大雲取越えをゆく

小口~那智にむかう、
平安末期西行法師(佐藤義清)も歩いた記録の残す石畳、
その記録から、それ以前から存在した道であるを知る~石と苔


15
 古道

描いてみました、

11
 古道・道湯川をゆく

継桜王子~岩神迂回路~蛇形地蔵~道湯川
8日の残り雪に出会いながら、13km、6時間、ともにガンバル~

話しをして、前川さん・尾崎さんも、2011、9、04、12号台風の被災者であること知る、
12号台風に苛められたお蔭で、今日があるんゃになろう語りあう、

10
 大雲取越えをゆく

東京都心で25㎝、45年振り、
関東、東北太平洋側に記録的大雪を降ろした、
8日の自然、古道大雲取越え、越前峠を白くする、

9
 小雲取越えをゆく

松畑茶屋跡、石標、何て記しているのかなぁ~
何のために建立したのかなぁ~


  
8
 小雲取越えをゆく

百間嵓、北西に果無山脈の稜線遠くに見える、
夕暮れ近し、16;05分、白い精舞はじめる~
このあと、さびしくって百間嵓~請川、43号柱から54号柱
5,5㎞、只ひたすら歩く、請川に17;20分至る、所要70分~

この70分の記録で、ガイドのときには歩けないが、


7  小雲取越えをゆく

尾切地蔵すぎて、セリバオーレン3輪、
小口、高倉庚申さんにむかいての石畳、バイカオーレン群生、


4
 小雲取越えをゆく

百間嵓の雲海、前日の雨が演出さす

 口熊野マラソン、

北海道、ニセコからの友、なっちゃん、朝からの雨止んでよかったね

1  高原~悪四郎屋敷跡をウォーク、

道しるべ8号~15号柱まで、往復7km、120分
クラブツーリズムの馴染みのリーダーが引率する40名を越してゆく、

この古道、5月には、チゴユリ、ホウチャクソウ、アマドコロ、ナルコユリに出会える、

2014年1-2月