ヨッシーの語りべ日記
2014年1-2月
     
27
 古道・小雲取越え

野竹法師、970m、ここには魂の入れ代わりの話しがある、

江戸享保の時代、野竹村に弥七郎と云う者が住んで居って、

突然亡くなり、哀しくって家族や周りの者達が声々に名前を叫ぶ、

その、お陰か蘇る、しかし、それからの弥七郎は、言葉も態度も変わる、

挙句の果て妻や子のことも知らない、

この野竹村に近江の国から来ていた木地師が、丁度同じく亡くなり

名前が弥七郎、精一杯の叫びが、浮遊していた、成仏出来ずの、

その近江の弥七郎の魂に届き、入れ代ったと記されている、

魂には、時間も距離もない、身体には、隙間の在る身体と隙間のない身体が在って、

隙間の在る身体には、霊・魂が入っていく、歩いて鳥肌の立つところ、そのときには般若心径、

古道稲葉根王子から下ったところに在る、圓教寺のお坊さまの話を添えて〜


26
 古道・発心門〜本宮、

三軒茶屋跡すぎて、73号柱から入って、
展望台から、湯の胸大日山・川湯丸山眺望

ここに来ると、東京TV、萬田久子・山村もみじのロケ同行想いだす、
そのとき問いかけられた声、今も覚えている、「熊野詣」「伊勢参り」、
詣と参りどう違うのか、なるほどに至る答え、今も見つけれないが、
こぅ語っている、

俳句にある、5・7・5、これは音数ではなく拍数である、
だから、俳聖芭蕉程の人が、辞世の句、「旅に病んで」と字余りとした、

上5を5拍で詠んでいる、6音を5拍で詠む、その結果1音毎の速度が
定型の場合より速くなる、その結果、死を目前にする、芭蕉の切羽詰まった思いが、
ここに集中して現れる、

「旅に病み」だったら、、旅の途中で倒れた、
芭蕉の無念の思いは薄れて平板な句になってしまう、

俳句の定型575は、音数ではなく、拍数である、
それに類するリズムを大切にして、片や詣、片や参りとなっていく、意味合いは同じ〜

一言で云ったら、ここまでの努力空しいがゴロがいぃから〜


25
 古道、小雲取越えをゆく

左、如法山609mに向かいての途上から天蓋森山・要害森山
大日山369m、熊野川備橋、本宮中学遠くに〜

右、小雲取り、小和瀬近し33号柱すぎての眺望、
下に、左・東地区、右・大山地区

山の姿の左、白いの地肌に残る雪の右に凹としたところが在る、
この下近くに小和瀬地区、そこに小雲越えは降りる、

右に一直線・同じ稜線に見えるか分からないが、
そうじゃなく左端電波塔大雲取山966mはその後ろに位置する、

又その後ろに舟見峠の電波塔、東・大山の麓から右上にそびえるのが越前峠860m〜


24

 古道、小雲取越えをゆく

松畑茶屋跡の石柱の文字(51号柱すぎも同じ)教えて、
前3文字表面、後ろ3文字裏面、水準?四八二だと思うが〜




23
 古道、小雲取越えをゆく

尾切地蔵、下って右石畳みに生きる、セリバオーレン、


21  古道・大雲取越えをゆく

小口〜那智にむかう、
平安末期西行法師(佐藤義清)も歩いた記録の残す石畳、
その記録から、それ以前から存在した道であるを知る〜石と苔


15
 古道

描いてみました、

11
 古道・道湯川をゆく

継桜王子〜岩神迂回路〜蛇形地蔵〜道湯川
8日の残り雪に出会いながら、13km、6時間、ともにガンバル〜

話しをして、前川さん・尾崎さんも、2011、9、04、12号台風の被災者であること知る、
12号台風に苛められたお蔭で、今日があるんゃになろう語りあう、

10
 大雲取越えをゆく

東京都心で25p、45年振り、
関東、東北太平洋側に記録的大雪を降ろした、
8日の自然、古道大雲取越え、越前峠を白くする、

9
 小雲取越えをゆく

松畑茶屋跡、石標、何て記しているのかなぁ〜
何のために建立したのかなぁ〜


  
8
 小雲取越えをゆく

百間ー、北西に果無山脈の稜線遠くに見える、
夕暮れ近し、16;05分、白い精舞はじめる〜
このあと、さびしくって百間ー〜請川、43号柱から54号柱
5,5q、只ひたすら歩く、請川に17;20分至る、所要70分〜

この70分の記録で、ガイドのときには歩けないが、


7  小雲取越えをゆく

尾切地蔵すぎて、セリバオーレン3輪、
小口、高倉庚申さんにむかいての石畳、バイカオーレン群生、


4
 小雲取越えをゆく

百間ーの雲海、前日の雨が演出さす

 口熊野マラソン、

北海道、ニセコからの友、なっちゃん、朝からの雨止んでよかったね

1  高原〜悪四郎屋敷跡をウォーク、

道しるべ8号〜15号柱まで、往復7km、120分
クラブツーリズムの馴染みのリーダーが引率する40名を越してゆく、

この古道、5月には、チゴユリ、ホウチャクソウ、アマドコロ、ナルコユリに出会える、

2014年1-2月