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古道・小雲取越え 野竹法師、970m、ここには魂の入れ代わりの話しがある、 江戸享保の時代、野竹村に弥七郎と云う者が住んで居って、 突然亡くなり、哀しくって家族や周りの者達が声々に名前を叫ぶ、 その、お陰か蘇る、しかし、それからの弥七郎は、言葉も態度も変わる、 挙句の果て妻や子のことも知らない、 この野竹村に近江の国から来ていた木地師が、丁度同じく亡くなり 名前が弥七郎、精一杯の叫びが、浮遊していた、成仏出来ずの、 その近江の弥七郎の魂に届き、入れ代ったと記されている、 魂には、時間も距離もない、身体には、隙間の在る身体と隙間のない身体が在って、 隙間の在る身体には、霊・魂が入っていく、歩いて鳥肌の立つところ、そのときには般若心径、 古道稲葉根王子から下ったところに在る、圓教寺のお坊さまの話を添えて〜 |
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古道・発心門〜本宮、 三軒茶屋跡すぎて、73号柱から入って、 展望台から、湯の胸大日山・川湯丸山眺望 ここに来ると、東京TV、萬田久子・山村もみじのロケ同行想いだす、 そのとき問いかけられた声、今も覚えている、「熊野詣」「伊勢参り」、 詣と参りどう違うのか、なるほどに至る答え、今も見つけれないが、 こぅ語っている、 俳句にある、5・7・5、これは音数ではなく拍数である、 だから、俳聖芭蕉程の人が、辞世の句、「旅に病んで」と字余りとした、 上5を5拍で詠んでいる、6音を5拍で詠む、その結果1音毎の速度が 定型の場合より速くなる、その結果、死を目前にする、芭蕉の切羽詰まった思いが、 ここに集中して現れる、 「旅に病み」だったら、、旅の途中で倒れた、 芭蕉の無念の思いは薄れて平板な句になってしまう、 俳句の定型575は、音数ではなく、拍数である、 それに類するリズムを大切にして、片や詣、片や参りとなっていく、意味合いは同じ〜 一言で云ったら、ここまでの努力空しいがゴロがいぃから〜 |
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古道、小雲取越えをゆく 左、如法山609mに向かいての途上から天蓋森山・要害森山 大日山369m、熊野川備橋、本宮中学遠くに〜 右、小雲取り、小和瀬近し33号柱すぎての眺望、 下に、左・東地区、右・大山地区 山の姿の左、白いの地肌に残る雪の右に凹としたところが在る、 この下近くに小和瀬地区、そこに小雲越えは降りる、 右に一直線・同じ稜線に見えるか分からないが、 そうじゃなく左端電波塔大雲取山966mはその後ろに位置する、 又その後ろに舟見峠の電波塔、東・大山の麓から右上にそびえるのが越前峠860m〜 |
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古道、小雲取越えをゆく 松畑茶屋跡の石柱の文字(51号柱すぎも同じ)教えて、 前3文字表面、後ろ3文字裏面、水準?四八二だと思うが〜 |
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古道、小雲取越えをゆく 尾切地蔵、下って右石畳みに生きる、セリバオーレン、 |
21 | 古道・大雲取越えをゆく 小口〜那智にむかう、 平安末期西行法師(佐藤義清)も歩いた記録の残す石畳、 その記録から、それ以前から存在した道であるを知る〜石と苔 |
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古道 描いてみました、 |
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古道・道湯川をゆく 継桜王子〜岩神迂回路〜蛇形地蔵〜道湯川 8日の残り雪に出会いながら、13km、6時間、ともにガンバル〜 話しをして、前川さん・尾崎さんも、2011、9、04、12号台風の被災者であること知る、 12号台風に苛められたお蔭で、今日があるんゃになろう語りあう、 |
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大雲取越えをゆく 東京都心で25p、45年振り、 関東、東北太平洋側に記録的大雪を降ろした、 8日の自然、古道大雲取越え、越前峠を白くする、 |
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小雲取越えをゆく 松畑茶屋跡、石標、何て記しているのかなぁ〜 何のために建立したのかなぁ〜 |
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小雲取越えをゆく 百間ー、北西に果無山脈の稜線遠くに見える、 夕暮れ近し、16;05分、白い精舞はじめる〜 このあと、さびしくって百間ー〜請川、43号柱から54号柱 5,5q、只ひたすら歩く、請川に17;20分至る、所要70分〜 この70分の記録で、ガイドのときには歩けないが、 |
7 | 小雲取越えをゆく 尾切地蔵すぎて、セリバオーレン3輪、 小口、高倉庚申さんにむかいての石畳、バイカオーレン群生、 |
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小雲取越えをゆく 百間ーの雲海、前日の雨が演出さす |
2 | 口熊野マラソン、 北海道、ニセコからの友、なっちゃん、朝からの雨止んでよかったね |
1 | 高原〜悪四郎屋敷跡をウォーク、 道しるべ8号〜15号柱まで、往復7km、120分 クラブツーリズムの馴染みのリーダーが引率する40名を越してゆく、 この古道、5月には、チゴユリ、ホウチャクソウ、アマドコロ、ナルコユリに出会える、 |
2014年1-2月