26 | 古道からの遠望、 その知識、確実なものにしたくって、 782m悪四郎山、716m政城山、潮見峠へと登る、 クルマ利用したもののクタクタ、でも自分のものにした、ニッコリ、 潮見峠からの遠望、左遠くに悪四郎山、伐採風景政城山石船方、 右政城山右後方野竹法師、その右黒嶽、伐採跡串峠地ヶ谷 |
25 |
田舎の田んぼを飾る、春近し熊野 先の日に山ガイド研修会に参加して、 その講師ガイドから、毅然とした態度、責任は私が持つ、 知らないことは知らないと云うべき、ゴマカスナ逃げるなと思い歩いた、 夜勤明け疲れたなぁ〜と思い終る、他山の石として記す、写真、ナズナ |
23 | 潮見からの遠望、 黒嶽・野竹法師・悪四郎・千丈山・高尾山を抱く雲海、 |
22 | 古道潮見越え研修会にゆく、 16;00を目途に歩く、終わりは16;40分 エージェントのウォークだったらクレームもの、 歩く速度考えなくては、それに講座を受けてのウォークだから 建造物、地理等を端的にガイドしながらだょ、 自分が講師を務めるときは、そぅでありたいと参考にし夜勤明け歩く、 そこで出会った花記す、 ホトケノザ、菜の花 フキノトウ、オニノゲシ葉茎から出てトゲがある タチツボスミレ、イヌビワ ヒメヤシャブシ枝に実を直につける、葉は細長い、ハンノキは実に長柄がある葉は丸い、 右、ノゲシ茎から葉出るトゲなし、 ムラサキカタバミ、ナズナ |
17 | 24〜33才まで 鳳電車区で電車の運転をした時代の仲間との集い、 32年振りに参加した、おまえが語りべと驚く、当時の指導員小谷先輩、 私の語りを偶然傍で聞いていて、 山登りの人々が今まででいちばん良かった語りと云って、拍手受けていたこと 云ってきた窪田や〜、 他、高田、山本、畑中、梅田、阪口、大浦、巽、川島先輩、川畑支区長、 組合の島岡さん達と旧知を分かち合う、懐かしい、いぃ酒だったょ、ありがとう、 |
16 | 蝋梅が美しい、古道 菱塾の人々12名ガイドする、滝尻〜高原〜本宮 賢いって云うか、人生を懸命に生きてきた人々との出会いは、 いつも愉しい、そして学べる、昨日よりまっしな自分にしてもらえて、ありがとう、 タチツボスミレ、陽だまりに咲く、 |
14 | 古道道湯川、右写真、左デッサン途中、 写真より深い三次元の世界、奥行きを描きたいと考えているが、むずかしい、 あした、菱塾ガイド、下調べに行ってきます、ボランティアばかりで収入のあるガイドは久しぶり、 これで壊れた靴にさようならできる、同じ型の求めます、やれやれ、老いて貧しいは辛いね〜 |
10 | 田舎の風景記します、 雪が降る、雪の日が多い、温暖化からだろう 雨の季節なったらどか雨降りなかったいぃけど、 ナズナ、オオイヌノフグリ、フキノトウ咲く、ウメも咲きはじめる、 もぅ〜すぐ渓流アマゴ釣り、俺が富田川を背負う、 そんな時代の私もあったが2011年12号台風で失せる、 今は、何であの娘好きになったんかなぁ〜そんな思いで富田川をみつめる、 台風以後は、山道と画用紙〜語れる、描ける自分になったときのよろこびに出会いにいっている、 |
8 | 口コミ、ありがとう、リピーターに感謝 おまえの休みに合わせたるからガイドせょ、 赤坂Group、ロイヤル歩こう会、和歌山大学、他、嬉しいです、 何度も何度も出会って語って少なくなってゆく私の引出し、 補充に追われるが現実、そのガイドの引出し作りに夢を見る・・・、ありがとう、 写真、どこから眺めても美しい、野竹法師970mおくります、 |
4 | 次なるガイドのための下調べに、 高原〜高原池に向かって歩く、石畳みの坂、 コシアブラの木〜池までの坂、一気に歩ききる、 ヨガ式腹式呼吸取入れてから息あがらなくなる、 これで100kmマラソングループ、大雲胴切坂も大丈夫と思う、 写真、中央の山剣山371m、この稜線に古道がある、 |
3 | 48号柱越えて、おぎん地蔵に至る、 林道で云ったらどこいらか、確かめたくて、 おぎんさん上手の急峻な渓谷を直に登る、林道に出ることが出来てにっこり、 でも、太ももの筋引っ張る、腰痛し、65才を知る、 写真、登ったそこにある林道4態、ツララが懐かしい、 |
2 | 湯川王子から三越峠にむかう坂道の木造り階段や橋、修理してくれていた、 ありがとうです、その道端にバイカオーレン、田畑の畦道にオオイヌのフグリ咲きはじめる、 春もうすぐ〜重弘、お母さん大切に、重弘にはいつも感謝している、ありがとう、 |
2-1 | JR和歌山支社主催道普請250名内、50名 伏拝14;40分〜本宮大社16;15分〜発16;30分ガイドする、 支社長が、もぅ10年越える昔になった私の特急電車の運転方法を語ってくれる、 私の運転スタイル覚えていてくれて、懐かしいやら、嬉しいやら〜 語りべも、運転と一緒で一味違うの言葉貰い、自信、励みになった、白い精の舞う31日〜 西川公夫ちゃんありがとう、森重によろしく、 |
28 | 詩人吉野弘21才のときの綴り 人間はその不完全を許容しつつ愛しあうことです、 不完全であるが故に斥け合うのではなく、人間同士が助けあうのです、 他人の行為を軽々しく批判せぬことです、 自分の好悪の感情で人を批判せぬことです、 善悪のいずれかの一方にその人を押し込めないことです、 |
27 |
小雲取越え、百間ーからの雲海、 ヒロチャン、 ,ありがとう、ここいらでヤイロチョウの鳴き声聞こえるとのこと |
25 |
12号台風深層崩壊での被災後、 宿舎を借りて暮らしている、百姓処の村、 クルマ運転出来るあいだは、いぃところだょ、 さびしくなったら、木田さんに譲った、64年頑張り暮らした滝尻のお店にゆく、 今の私〜 |
24 | グリーン・クラブ果無を越える、 |
21 | 伏拝風景、松本茶畑から、 左の写真三里富士、ブナノタイラ、右、大森山、カブトノモリ、 左の写真野竹法師、ゴンニャクヤマ、右は愛宕山? 左の写真、三角のむこう大雲取山三角点、 右写真左端如法山、右丸くポコっとしているところ小雲越え終り |
19 |
高原にて 木犀科雲南黄梅や、蝋梅が咲きはじめる |
17 |
20年前の今日、 5;46分阪神淡路大震災発生、 私はJRで電車の運転士をしていた時代、 周参見と云う駅で一番電車を動かすために点検をしていて、 風もないのに架線が凄く揺れる、駅員が駅舎から地震ゃと云って飛び出してくる そして私は呑気に凄い地震を知る、忘れることのない風景、 天に召された人々に合掌します、 生かされ頑張っている人々、被災は辛くて惨め、 歳月をガマンの中で重ね築きあげてきたもの失い、途方にくれる心も経済も迷子にされる、 2011年9月4日、12号台風深層崩壊、浸水から家を放すこと余儀なくした私には分かる、 辛いよあぁ〜、でも頑張るしかない、頑張っているが日々自分のエネルギーが小さくなって往く、 それが現実、歩いてきます、 写真20年前の私の世界、撮影イトウヒロ、 |
15 |
龍神街道果無越え、 山に抱かれての、後姿の倖せ |
13 | 古道、岩神峠越え 迂回路に生きる、イイギリの赤、 |
12 | 果無峠越え 天候に恵まれて、八木尾9;45〜果無峠12;45、八木尾15;15着、 はじめからテーブル、標柱から、アナグマに出会ったロープ辺り、 14番石仏過ぎて標柱果無峠1,2qから頂まで、これら登り、だけど風景は小辺路屈指 |
10 | カワラハンノキとヤシャブシの分かりやすい違い、 カワラハンノキの葉は丸ぽっく先端が小さく窪んでいる、実は先端に4〜5個付く、 ヤシャブシは葉の先端鋭く尖っている、実は直立斜上に1〜2つ付く、写真ヤシャブシ |
9 |
、 滝尻、乳岩からの急峻 檜の木の根坂、ここの勾配が優しく見えたり 険しく感じたり、ここはその日の、私のエネルギーのバロメーター坂、 |
4 |
きのうは残り雪を踏みしめて 遊歩道、温川ロマン拓くために、 地方の豪族山本主膳伝説のある、 鎌倉山の馬駈けと云われるところ、区長達と確認に行く 今日は近露王子で3人に語る、 |
3 |
雪が降りる中 温川区から頼まれて、遊歩道温川ロマン造るための調査にゆく、 2014年から延べ10回目の鎌倉山行ったり来たり、ようやく基本イメージできる、 そこで出会える〜左の風景、分領山、乳岩〜飯盛山〜高原集落への稜線と村、 右の風景、右下に十丈王子、小判地蔵、白い左の山悪四郎が遠望できる、 、 |
2 |
1日は夜勤明け雪の中今住む温川地区に帰り、 鎮守の杜大氏神社、春日神社に村人皆で御参り後、一献を酌み交わす、 2015年の御参りは若者が多く集いニッコリ、ビール会になったらいつものメンバー になっていた、区長が可哀想、何か考えなくてはと想いながら酔う、 17;00頃、滝尻王子にアユサオとハッピー・トランペット持って妻と御参りする、 達者で穏やか、無病息災の中で皆暮らしていけることを合掌する〜、白い世界から、 |
1 | すべてのものが、 達者で穏やかな、2015年であることを、 希望しながら、明けまして おめでとうございます、 写真左、大峰奥駈け山在峠からの野竹法師(四村富士) 右、父母の故里本宮町上切原の風景、少年の頃走り廻った熊野川の堤防が懐かしい、 今年も、此の風景眺めながら、旅人から「お前の語りに、心ふぁ〜と持っていかれる」 と云われるガイドできますように〜 |
2015年1-2月