31
 秋の山ガイド・語りべに向けて下調べに古道に入る、

滝尻王子〜近露王子、13q、6hにむかって、滝尻を10;45分スタートする、

急峻を登坂しながら富田川を眺める、29日の10号台風の雨は、アユと云う魚を釣れなくては

仕方のない川の状態を作っている(50年の経験から)、サオを閉じたつもりだったが、

28日、夜勤のところに新米をもってきてくれた鉄道員時代の友、アユ大好き人間片山の顔が湧く、

夜、ビールを呑まず勉強することにして、6km歩き、方向はアユ釣りに変える、

13;00分、富田川、ポイントは得意の釜ン滝に立つ、水位プラス12cm、

明日の方が、尚いぃだろうが読みどうり釣れる、台風後の余波のそこには高水温で泣かされた

動かないアユはない、泳ぐ、釣れる、僕の前で野アユは銀色を走らす、

何で何10年も、何万回も出会っているのに飽きずに愉しいのだろう、

このときめき文字にしたら、表現を考えながら釣り続けて30年は越える

(30才代から釣りサンデーに記しはじめたから)、

いぃ表現、今も探せていないが、そんなことを考えながら釣り続けて15;00に至る、

15;40に、どうしてもの約束があり、時間の限界がきた、

先に出会った大坂からの釣り人がダメだと云って帰って来た、富田川は、こんなところを攻めるのがいぃ、

時間がないのでいっぱい釣り残しているからと云って後を託す、

終りに釣ったアユは22pを越えたが、後は14〜18cm、2H,21本、未練残しながらサオ閉じる、

何かしなくてはならないときに、引きとめるが如く釣れる、

日々の生活でときどき出会う風景、私の15;00だった、

語りべの下調べに行かなくてはいけないのに〜


28
 рゥら、

26日、語りべ仲間・アユ釣りの友、裏地さん云ってくる、

17〜24cm、28匹を釣ったとのこと、「凄いなぁ、おめでとう」を送る、

攻めたのは、鮎川新橋下流域、JAの前のきつい瀬、わらびお橋周辺、

このサオの曲りから、アユ下流域も狙えるになってきたとも云っていた、

私は、12;00近くから14;40ワンダフルの瀬に遊ぶ、真新しいストッカーに入れたくって、

亡き母の49日に来てくれる姉たちに食べさせたくって〜

狙いのポイントで、まず1匹を狙う、今日はボルトの9秒より速く野アユを得る、

3匹までは、素晴らしい速さだった、それから少し経て4つめを釣る、目印走る、21p、背掛かり、

これを走らせ、これで釣りまくるぞ、そぅ考え泳がす、ひと泳ぎはいぃが引き戻して来ると、もぅダメ、

泳がない、サオを、べたサオにしても挙句の果て浮く、背掛かりにも泳がないの居ることは

幾度も経験しているが何故かな〜友アユを代える、いちばん色のいぃ養魚をふたたび登場さす、

ここと云うところを、誤魔化し泳がしているといぃ野アユの背掛かりがくる、

だけどひと泳ぎで釣れなかったらダメ、引き戻すと浮きはじめる、曳舟の中で元気なのは養魚だけ、

養魚、逆バリ打つところなくなるまで使う、終らなくてはならない時間が来た、未練残る茶褐色の石を

眺め終る、1匹の養魚を使って使って手間暇の掛かる、高水温に泣かされた釣り、

14〜22p、16本で終わる、

名手裏地は、錘をつけて友アユ沈め、高水温に立ち向かったとрナ云っていた、


26
 不思議、

夜勤明け、アユの釣り人が富田川の何処に居るか

捜して、今住むところにクルマで向かってしまう、(危ないから今日限り毅い意志で止める)、

それは40年間、滝尻で妻や亡き母と、私はJRマンの傍らアユを商ってきた、

そのおり、釣り人に、帰り掛け氷あるかって云ってもらいたく(氷を求めるは釣れた証し)

そぅ、云ってもらえるポイントを贈りたくって(今は自分がサオ抜けの釣れるポイントに行きたくってだが〜)

きのうは、賢くクルマから降りて、ワンダフルの入れ掛かりポイントの光を確かめる、

独り釣り人がいる、あんなポイントに立っている、川を知っているのだなぁ、もしかしたら

僕のブログからかなぁ〜何て考えたりしながら見つめる〜釣り人ポツポツ、泳ぎの人たちもパラパラ、

風にさびしいものが、太陽も何処か優しい、だからかなぁ〜、お盆が往くと夏がさびしくなるのは

不思議、富田川、渇水、アユの釣れる茶褐色の石が少し浅くなってきた、

茶褐色はアユの追気、釣れる、私のバロメーター、そこを友アユ泳がす、そこに立つ、

今の季節の川の読み〜

21

 ノウゼンカズラ(凌霄葛)

凌霄や 亡き母の口ぐせ お陰さま、(浄子作)、

ノウゼンカズラの霄は大空を意味し、蔓が木にまといつき空に向かって高く咲く姿を表している、

木に支えられ、空・太陽に向かって生きる凌霄花に、母の人生、皆さまの愛と支えに感謝し、

お蔭さまをを般若心経にして、心くばり・親切をもって、人々とともに生きて終った独りの女を

詠んだ17文字、私にはとても分かりいぃ〜

20
 世界遺産、熊野古道中辺路ルート

聖域のはじまり、中辺路ルートの世界遺産エリアのはじまり

滝尻王子の傍を流れる、幻想富田川、富田川ロマンと云わすもの、ここにあり、


17
 語りべでい一緒に歩いた方から

11月、ふたたびのガイド依頼とどく、嬉しいです、愛ちゃんありがとう、

遠望、野竹法師960m、ゴンニャク山952m、

16

 優しさのくださった、

伯父の初盆の送りに父母の故里、本宮・上切原へ行く

少年のころ、夏休みに遊んだ熊野川のここが懐かしい、

そしてMがこう云ってくる

「ヨッシーは金より欲しいのは拍手、そのために努力惜しまない、褒めたったら頑張る」

語りべの世界、私の生涯学習、収入ここで求めたらダメだょ、

拍手、もらって誰でも嬉しいし、欲しいょなぁ、その拍手、努力せず貰えないょなぁ〜

褒めたら頑張る、屈辱に出会っても頑張るょ(だから毅い意志を持って分割民営の屈辱を越えてきた)

収入、夜勤に頑張って月78000円、元気で行ける、使ってもらっていることに感謝している、

貧乏暇なし〜

14
 12日、静岡、三島からの旅人、3人、

赤木越え、発心門〜湯の胸、7,0kmガイドする、

ウォークのはじまりが14;00、夏だけれど夕暮れを気にしながら行く、

だから、歩きながら語りが多くなる、眼を見て語らなくてはと思いながらも〜

途中、「ドスン」と云う音とともに、木の根っ子に躓き、独りの旅人倒れる、

大丈夫に感謝しながら、焼山の話し、韮山の反射炉のこと、富士山のこと聞きながら行く、

18;00には入リたいと宿に云っていた、3人歩くの上手、協力してくれて17;57分に入れる、

志までいただいて帰路につくが、オフクロが天に召されたと云うのに、

アユ釣りに精出しすぎ、語りの勘、少し鈍っていて、すまなく思う、


12
 赤木越えに咲いていた、

季節外れかなぁ〜タニギキョウ、

9
 急峻、西の峰をゆく、

 
8
 坂又峠〜3つのピーク越えて712m西の峰、

そして平瀬の集落へ27名で歩く、はじまりは7;30〜終わりは14;30、

ピークから、大峰山系、果無山系、高尾山、オオカミサワ、三日森見える、

途中、ヒナノシャクジョウに出会う、

5
 怒ったら、

大体うまくいかないことの方が多い、だから笑っている、谷村新治の声、

8/4
 1日、関東からの旅人に語らせてもらう、

12;00分、発心門行バスに乗り、発心門から歩く、

途中お弁当、写真、熊野川を眺め、アミダ熊野本宮、そして大斎原、

大斎原で、(何故世界遺産になれたのか)語る、終りに涙をくれる、嬉しかったょ

ありがとう、励みにして努力し続けます、リョウブの花添えて

30
 ヒオウギ咲く、

25
 母逝く(通夜のご挨拶)、

 家族、一族を代表いたしまして、皆さま方に,ご挨拶申しあげます、
今夜は、ご多忙中のところ、亡き母水本ひらゑの通夜に、お参りくださいまして
ありがとうございます、心から、お礼申し上げます、

 母は、3年前にこけて足を骨折いたし歩くのが辛くなっていきました、
それ以来、アオイ介護さま、・紀南病院さま・玉置病院さまに介護・看護をしていただく、
優しさをいただく生活がはじまりました

 そして、その優しさに感謝しながら日々穏やかに過ごしてまいりましたが、
7月20日の午前2;;25分、玉置病院さまで手厚く看護されるなか
、94才4ヶ月4日をもって、安らかに永眠いたしました、
お世話いただいた医療介護関係の多くの方々に、心からお礼申し上げます、

 その母の人生は、満州から引き揚げてきた父富造と、故里熊野本宮の上切原から
ボストンバックを2つをもって、滝尻と云う地に移り住む、

 そして、生計を助けるべく、私たちを養うためにはじめたのがキャンディ売り、
売れない日は近所の方々に助けてもらったとか、
また、滝尻・石船・大内川地区をはじめにして、さまざまな地区の人々から優しさをもらい、
冷凍サンマ、豆腐を一生懸命売り歩く、私たちも手伝うときがあり、
「お店流行らすのどぅしたらえぇのや」僕がオフクロに聞く、
くれた答えは「皆のお蔭やから、皆に感謝して暮らすことや、そぅ親切することゃ」
今は懐かしい、オフクロの教え、

 その母と私の最期の会話は、終りの2日前玉置病院で
「おばぁちゃん頑張って生きとってょ」と云ったら、
「病院で頑張るょ、でも生きとったら、お前らここへ来んなんから、すまん〜」
「おばぁちゃん、そんなこと云うなょ、おぼぁちゃんも、おばぁちゃんの父・母
寝とってでも生きとって欲しかったやろ、僕らも同じココロゃ」、そぅ云うと、
僕の手を握って「もといちゃん大事にせえょ」、私は「大事にし過ぎゃ」、そぅ云って、潤む自分を払拭する
もぅ終ろうかと云う、小さなエネルギーになっても、気配りを送り続けた人だったとも思います、

 そのオフクロ52才のとき、子養いの盛り、父と死別する、
心労からか入退院の繰り返しがはじまる、7回も8回も危篤で親戚を呼び寄せたことも、
当時国鉄の電気機関車乗りだった私、夜行列車の運転を終え、帰区すると
「紀南病院からрったぞ、速く行ってやれ」、終了点呼も受けずに走ったことも〜

 そんなオフクロだったから、ホームや病院に会いに行って、
「おばぁちゃん、こんなに長生きすると思わんかったなぁ〜」
「ほんまやなぁ、私も思わんかった」、

 そんな、オフクロが95才と云う天寿を全うできたのは、
皆さまから、もらった、「みずもとのおばちゃん、みずもとのおばちゃん」
この声の奥にある、皆さまからの、愛と、支えのお蔭だと、私たちは受けとめています、
皆さまからいただいた、この愛と支えに、深く感謝して、亡き母に代わり、一族を代表しての
ココロといたします、

 残された私たち、その感謝を忘れずに生きることを心に刻み、誓って、
今夜の、ご挨拶といたします、ありがとうございました、


15
 山岸勝榮の日英語サロンから

「白洲さん、symbolって云うの何やねん?」小畑が次郎に大阪弁で尋ねてきた、

「英国じゃイギリス国王は国民のシンボルと云うことになっているから、それを持ってきたのだろう、

でも日本語でどぅ云えばいいのかなぁ・・・象徴とでも云えばいぃのか・・

・そうだ、そこにある井上の英和辞典引いてみたら?」井上の英和辞典とは、大正4年に井上十吉によって

編まれた井上英和大辞典(至誠堂書店)のことである、次郎の言葉に従って小畑は辞書を引いてみた、

「やっぱり白洲さん、symbolは象徴やね」新憲法の象徴と云う言葉はこうしたやりとりで決まったのだ、

この文面に出会ったが、21代臨済宗妙心寺派の官長に登りつめた山本玄峰が、

憲法改正委員会のまとめ役であった楢橋渡に語った、この言葉、「天皇が下手に政治や政権に関係したら

内部抗争が絶えないと思う、(中略)天皇は空に輝く象徴みたいなものだ」、

この語りが、新憲法の条文に影響を与えたと傳えられてもいるが〜ムズカシイ、

高野山奥の院に生きる野の花、


12
 山ガイド、夏の暑さから少し静かになる、

2ランクグレードアップした語りべ・自分になりたくて、

疑問を抱いていた、熊野の歴史・自然を学び直しに熊野三山を歩いた、

知るを愉しむ、それからオフクロを見舞って、我が家へ、

帰路の途中、永六輔の電波が流れる、「倖せは我が家への帰り道」

「愛することの反対は憎しみではなく、無関心になること」彼の名言がココロにとどく〜

花、熊野速玉の石垣に咲く,キツネノマゴ科ベロペロネ(コエビソウ)右は?


11
 7日前語らせてもらった、

武生からの旅人から、記念の写真と菅笠送っていただく、

いかつい僕のフエィスには少し似合わないが、ココロが嬉しかったです、

ありがとう、2人の名前記して大切にします、写真も

その嬉しいものに出会って、夜勤明け、大日越えを行く、一睡もせずの語り、

理系の素敵な旅人からエネルギーいただいて4,0q頑張り、帰る、

梅酒呑んだら、汗いっぱいだのに、風呂入らず、叱られながら眠ってしまう、

写真、赤リュック、大門坂を行く、武生そして理系にありがとうを記します、

9
 今日の熊野は雨、時雨量59,5mmがあさには降りる、

明日は晴れるとのこと、嬉しいなぁ、赤木越え、大日越えの山ガイド

晴れて旅人をむかえられるから〜結跏趺坐でも語ろうかなぁ〜、

写真、ハラビロトンボのオス、メスは茶色、ちなみにシオカラトンボのオスは

灰色、メスはムギワラ色〜


 古道、世界遺産登録12年に至る、

一生懸命語って来たなぁ、頑張ったなぁ、

今は離れたけれど、お店をしながら滝尻王子を舞台に語たらせてもらい続けた、

私の原点に感謝しながら、これからも一生懸命、歩き・学び・

素敵な語りべにむかって努力しますので、よろしく、七夕の日、

 

 福井、武生からの旅人、3日間に渡り、ご案内させていただく、

那智大門坂・宝物殿・大社・青岸渡寺・大滝、発心門〜本宮大社・大斎原、

結びに、聖域のはじまり滝尻王子〜高原熊野神社・果無の風景・お風呂へと〜

感性があり、語らせていただいて愉しく、教えられることも多く、ありがとうです、

また訪れるのメッセージ励みにして、故里を学び歩いておきます、お礼まで、


ヨッシー語りべ日記
2016年7-8月

2016年7-8月