30
 大雲取越え、

八丁堀、石倉峠にむかう石の坂(モデルJR山岳部)

29
 曇りのち雨の予報から

母校中辺路小学校の鍛錬遠足11月4日に延期となる、

大雲ガイドして知らなかった花1つ求めて走る、

この日の大雲JR山岳部の全国大会で270名ウォークとのこと、

重弘、公夫、山チャン、大里、みやもと等に出会う、

コーヒー、お弁当御馳走になり、11号柱〜越前峠往復する

花探すことできず、山の見置きはアカンなぁ〜呟き帰路につく、

 秋の大雲取越え野の花、

センブリ、アケボノソウ、ヤマハッカ、アキチョウジ、トウバナ、ジャコウソウの花後のガク、






27
 北の国からの旅人

気持ちのいぃ歩きだったと云ってくれて、滝尻王子〜湯の胸に至る、

とても高校野球のこと、世界情勢詳しくって、野球では尾崎〜大谷、斉藤、北海高校のこと

情勢では、豊洲、2020年のオリンピックから感じる、無茶苦茶政策、石原・森、他にもいる同類項

えぇ加減せぇ、結果はわからないが、パンドラの蓋を開けた小池「ガンバレ」どこまで頑張れるかなぁ

頑張ってくれ云いながら・・・・・あっと云う間の240分〜

 大雲・小雲ばかり行っていたので、

この険峻楽に感じた、花はコウヤボウキに出会う、

ヒロ、ツムラの68番、21日の大雲では、旅の人に筋肉痛生まれ、役にたったょ、

ありがとう


26
 叱ってもダメ、だから笑っている、

云うたら負け、でも云うべきときは云わなくては、

ムリしていぃムリと、ムリしていけないムリがある、その線引きがむずかしい、

無償ボランティアでもレラ先は聞いておく必要がある痛感する、90分待たされてレラなし、

「金持ちケンカせず」を唱えて待つ、

出会い、「買い物、2ヶ所でして来て遅くなった」「пAエージェントに入れたょ」云ったら

「知っていた」と云っていた、24日の貧しい風景〜

まぁ、アユ・アマゴ眺めれたからいぃか、

23
 大雲・小雲取越えを往く

阪神電鉄山岳部藤原Group、9名、

僕がガイドして5年、大坂窪津王子〜滝尻王子までにも多くの時間を刻んで

紀伊路〜中辺路完歩に至る、大雲を越えて小口自然の家に泊し、ビールで乾杯、

美味しかった、愉しかったです、ありがとう、

アミダ熊野本宮のまえで、お礼のご挨拶おくる、

その後、いただいた涙、もったいなくって・・ありがとう、

 21日の足跡、

4;30家を出る〜5;10請川トイレでクルマ荷物移動担当の仲間と落ち合う〜6;10那智表参道、

熊野交通Pで待つ〜6;40藤原Gと合流〜7;00ウォークスタート〜12;50地蔵茶屋跡至る〜

13;40石倉・越前峠にむかう〜15;30越前峠に至る〜15;40下りに入る〜17;55、足痛めたりの

アクシデントを越え電灯を照らし、自然の家に至る、

 22日の足跡、

6;40自然の家スタート〜11;10、42号柱越えてお弁当〜11;35ふたたび歩く〜14;00、54号柱

請川クルマに至る〜14;20熊野本宮至り、参拝〜15;00果無縦走トレッキング約束して終わる、

 花

アケボノソウ、ヤマハッカ(亡者の出会坂、そして16号柱多し)

シロヨメナ、アサマリンドウ(越前19号柱過ぎて圧巻)アキチョウジ(小和瀬バス停上り方群生)

素晴らしいフジワラデーターの一端を載せて


 
20
 コシオガマ、大滝に咲く、

大滝、惚れ惚れするアユのポイントになったなぁ〜

18
 「街道を歩く会」

雨のため果無冷水山1262mに行けず、本宮参拝後

13;32、紀伊田辺駅にて見送り、その後大雲取越え地蔵茶屋跡へ行く

きのう答えれなかった野の花に出会い、そして山渓で調べる、

ヤマハッカとシロヨメナ(旧姓ヤマシロギク)、



17
 あしかけ5年を経て、

「街道を歩く会」、古道、中辺路ルート屈指の難所大雲、那智からを越える、

滝尻王子から登りはじめたころ18人、16日は6人で〜

お疲れさま、おめでとう〜

マグマの申し子、熊野酸性火成岩類花崗斑岩の点在する胴切坂の急峻、

越前峠に向かう途上、ふたたび電波の入りはじめる登りで迎えてくれた

フェルメールブルーもビックリのアサマリンドウの蒼の群生、

センプリ、花びらに点がないのと、小さいのがアケボノソウとの差異、

ほんとうによく似ている、その花に16号柱で出会ったり〜

タイムは、07;30表参道出発〜12;40地蔵茶屋跡至る〜13;20石倉・越前峠へ向いはじめる、

15;20越前峠に至る〜17;15小口29号柱〜小学校跡にてトイレ、ビールで乾杯、

いぃメンバーに、ありがとう、感謝〜

12
 雨宿りができるくらい葉が茂り、

板で葺いた屋根のようなのでついた名、イタヤカエデ、

カエデ類は芽の吹くまえに枝を切ると樹液がしたたり落ちる

そこにはショ糖・ブドウ糖・果糖があり、いちばん高い濃度のショ糖は

1mより2mと高い幹の方が抽出できるとのこと(シロップ作りの参考に)、

カエデ糖ではカナダの国旗で有名であるサトウカエデ知られているが、

ウリハダカエデの蜜がいちばん美味しいとc、w、二コルの仲間は云っている、

芽吹き寸前は樹液2?、1H程で採れたが、4月に採取すると、樹液は、もぅでない

なぜ、内圧が変わる、なぜ、同じ幹でも高ほうがショ糖が多い、

この菊の名前も、教えてください・・・


11
 マムシに気合入れられる、

きのう、夜勤明け、眠たいなぁと思いながら、

17日の冷水山、果無トレッキングコースガイドのための下調べにゆく、

登りはじめてすぐにマムシに出会う、踏まずによかったなぁ〜それから後、枝でストックを作り

集中力のある歩きに変えて登る、ガイドしていて噛まれたときの対策をイメージしたりしながら登る、

 冷水山登山口〜1262mまでの道の紹介、

はじめから少し急峻、そして緩やかになり10分程の急峻、岩に出会う、
緩やかに登りピークに至る、私の足で登り20分下り12分

 クルマで行く登山口まで、

;高尾隧道〜登山口まで東の川経由30分(今、崩土のためダメ)

;温川〜加財30分〜登山口30分

:川湯トンネル〜発心門20分〜三越峠まで10分〜三越トンネル・岩神トンネル〜鳥井沢橋20分
 冷水山登山口20分、計70分、

;温川〜発心門50分、黒尾山登山口〜冷水山登山口クルマで8分、歩いて55分

表に大塔山系、裏に大峰山系・日高山系、ココロふぁ〜て持っていかれるょ、この眺望には、



 スーパー果無林道から、

18号台風去り、遠望に惚れ惚れ、

17日,この風景、4年に渡っての東京からの旅人「街道を歩く会」の皆さまに、

贈れますように、贈りたいなぁ〜、

6
 大雲・小雲取越え、30km×3をメーンにした、10月の山ガイド、

夜勤に行きながらは,きびしい、だけど、ありがたい、不撓不屈、 

咲き誇るホテイアオイのように毅く、

10/3
 909m、烏帽子山に往く、

風吹かず、蒸し暑い中、34名と登る、

新宮高田から入り、昭和50年まで1組の老夫婦が住んでいたと云う、

名残のナショナルの脱水ハンドル付の洗濯機に迎えられ俵石を越える、

そこからロープ、大岩、少し右に下がり、ここから真骨頂の坂を登り、ピークへ、ガス溜まって視界0、

でも、ガイドのとき語り続けている烏帽子岩に登れたこと、

独りの山ガールから、知床に旅して求めたと云う、虫除けスプレー・ペーパーミント

850円だったとこかを吹いてもらう、気持ちの良かったこと、

早速通販、キキリキラ「アイヌ語で虫が逃げる」を注文する、これらが収穫、

自分のオニギリより、皆にもらったクリ・ミカン・カキ・クッキーの方が多かった山登り、ありがとう、

今年はじめてのアサマリンドウに出会う、

30
 稲城市からの山旅人と往く、

滝尻〜高原〜大斎原・本宮〜那智へと

紀伊勝浦での食べるところ知らない私、

「いちりん、пG0735−29−7911」のクジラ料理、喉珍故美味しかったを教えてもらう、

10月の15日から訪れてくださる、関東からの「街道を歩く会」知らせてみます、

同じ時代を共に生きる仲間、元気であり続け、100名山越えてください、

私は熊野古道をどれだけ歩き、知るかに頑張ってみます、

雨もオシャレの言葉、なぜか印象に残っています、ありがとうございました、

大峰奥駈道玉置山1076mから眺望、折立集落、旧折立中学体育館の銀屋根が目立つ、


28

 1000m越える玉置山に咲いていた、

アキギリ、黄色い花だったらキバナアキギリ、


モミジガサの花





菊の仲間、右ママコのシリヌグイ
27
 いぃ経験する、a valuable experience

フィンランド・スウェーデンからの旅人に、世界旅行マーチンの通訳で熊野を語らせてもらう、

私が語り通訳が語る、だから、通訳し易そうな言葉にして、深くことを手短に語ることを教えられる、

私と通訳の距離感、はじめは通訳傍に居て、彼の眼を見て語っていたが、それより通訳を最後尾にして、

皆の眼を見ながら語り、区切りで訳してくださいのジェスチャを送るが車座集会になるをつかむ、

それをつかんだら、2日のガイドは終りを迎え、ミンナの写真一緒に撮ろうの声と、

サリーアンネの哲学的な話しがよかったと云ってきて、交わした強い握手に、安堵をもらう〜

帰ってきたら、先に山ガイドした薩摩隼人から、手紙添えて、お菓子送ってくれていた、

すごく美味しかった、フィンランド語で云ったら、トシ フュヴァ、

鹿児島金石町4−16明石屋菓子店 099−226−0431、かるかんまんじゅう、

紹介しながら、ありがとう、皆へ、熊野川を添えて


24
 発心門〜本宮大社・大斎原

赤リュックメンバー売れて、他のクラブにお願いする、

私は、神戸から70才、35名の済友会に近露王子〜牛馬童子語らせてもらう、

語るたびに拍手喝采、照れたけれど励みになったです、終りにバスから、いっぱい手を振ってくれる、

私は、満たされ家路につく、そして勉強しなくてはと思いながら眠ってしまう、

坂本オフィスメイトの推薦を受けて

フィンランドからの6人に、25〜26日、滝尻〜本宮大社を語る、

もちろん、I can only sei haroの、私だから通訳をつけてだが、これが心配、

16号台風が落とした銀杏、お寺で80kg程拾ってきたのに、雨ばかり、

天日干しの太陽が欲しい、周りの農家の人々も稲を刈れない、そぅ云っている、

写真、亡き父・母のふるさと、本宮町上切原、熊野牛と熊野川〜父が最後に踏んだのはいつだったのかなぁ

母が、ふるさと眺めたのは、何時だったかなぁ〜考えていたらセンチになる、

21
 うどん屋で見た漫画本、いぃこと描いていたょ、

想定外のことが起きてるときは、可能性も伸びているとき

だから失敗に落ち込むんじゃない、己を責めてはいけない、そんなときは微笑むんだ、

自分の可能性が顔出してきたと信じて〜

失敗のときの微笑みは、人間の懐の深さ、ブスッとしたり、周りに八つ当たりするんじゃない、

失敗した自分に一呼吸の余裕を与えてやれ、許しは寛容を生み,寛容は進歩を産む、

それが・・・の基本だ、風の大地から、

16号台風、観音寺の銀杏の木折って去ってゆく、ヒロシ優しいmail、ありがとう、

写真、クサアジサイ

20
 赤木越えの坂

分岐点14;28〜献丈茶屋跡14;48、

ここの800m、1号柱までの500mがきつい、休まず歩いたら20分、、

4回折れて休み、6回折れて休む、2度の休みを入れて、語り歩いたら35〜40分近くかかる、

左に行って湯の胸、右に行くと6尺の林道になる、石標献丈、追分(稜線に至る分岐点)、

榊坂、一日前を経て出たのが赤木越え分岐から右登る林道のはじまり、

そして、そこに石標献丈につながる金六谷と刻んだ石標に至る、下っての道30分要する、

ウリクサ、シロソウメンタケ、ベニナギナタタケ、キイボタケやチャボホトトギス咲いていた、

16号台風の余波からガイド、トケての独り学習から〜

19
 黄色いサクランボ、

愉しく、オモシロク、面倒臭い、銀杏拾いの季節に入る、

今年は多い、実の大きさは、木の大きさに比例する、、人の手は弱酸性、

銀杏は弱アルカリ性だから触れたらかぶれる、拾うにはゴム手、火箸がいぃ、

食べ過ぎると嘔吐、下痢、麻痺、呼吸困難等の中毒症状発症する

危険性あるとのこと、だから「食べ過ぎると・・・」と云われる所以かも〜

食べる量の目安は、大人40粒、小人7粒、5才以下には与えないこと、

栄養満点、旬の味〜

写真、禅寺 東福寺末 分領山観音寺のメスの公孫樹、


18
 16日、13;00滝尻王子〜16;00高原熊野神社〜16;30きけうや、

17日、08;00きけうや〜08;30高原P〜11;30三体月鑑賞ポイント下で弁当、

〜12;45道の駅コーヒータイム、14;00近露王子〜14;20民宿ちかつゆ風呂〜15;00風呂後クルマ移動で

一方杉・秀衡桜〜15;40、40号柱小広王子跡〜15;50近露王子バス停〜16;01紀伊田辺行きバスに送る、


 本来だったら、滝尻〜本宮・大斎原、赤木・大日越え、16〜20日まで歩き続けるプランだったが、

16号台風等で出動しなくてはいけない仕事の関係から、あとのコースと、大雲・小雲取越えは、

あらためて歩くくことにして山に入る、


彼から聞いて愕いたこと、16日の宿きけうやに、ビールなかったとのこと、(私の次なる、

きけうやへの宿泊客にはメッセージ入れておかなくては)

嬉しく愉しかった、彼からの声「古道で出会う皆、仲間、友だち感だなぁ〜」

オモシロイと云うか、大丈夫かと思う程バラバラ歩きの外人グループに、

抜かれたり、抜いたりしながら、そして近露王子では、僕が2ページに渡って載っている、

「地球の歩き方 熊野古道」の本を持ってくださっていた、旅人たちに出会い、

16;00、気持ちのいぃ薩摩隼人との歩き、語り、終える、ありがとう、

写真、東京藝大ご案内したときのもの、


15
 岩神迂回路120号に向かっての

下り込み左に咲く、ツルリンドウ1つ、

14
 
 夜勤明けガンバル

小広王子40号柱〜発心門王子61号柱すぎ、11,7kmを往く、

40号柱;12;30スタート〜岩神峠迂回路入口;13;10〜671mピーク13;40〜

蛇形地蔵;14;20〜三越峠53号柱14;48〜56号柱15;15〜赤木越え分岐15;37〜

タックン坂はじめ15;49〜発心門王子16;00至る、

迂回路120の看板蛇形地蔵まで1,2q、仲人茶屋跡まで2,8q、

蛇形地蔵に近くなった迂回路123の看板には蛇形地蔵まで1,5qと記されている、

観光課に修正方お願いしたのだけれど、していない、又迂回路の番号の語源は何処から

生まれたものか?これも連絡協議会のとき問いかけたのだけれど、レラなし、

草鞋峠のスズコウジュ、小広旧道のジャコウソウ期待したのだけれど、

微かにジャコウソウのみ咲いていた、そのジャコウソウとチャボホトトギス載せます、

11
 大坂本王子周辺、

チャボホトトギスと並んで咲いていた、ナキリスゲ、

10
 20号柱下って〜林道横切り〜古道のはじまりに咲く、イヌトウバナ、

8

 「何かストレスあったんですか」

「介護〜母逝きて、野辺の送り、お盆、49日と続いて・・・」

「悩んで解決するんだったら悩んだらいぃけど、悩んでも、何も解決できない、

ストレス産むだけ、だから悩まず考える、考えるは行動すること、行動とは、ぶっかっていくことも、そぅ、

黙して何かに転換する、その事象に対して女優になって素敵に演じることも、そぅ、

自分を磨くと云うか、それを越える哲学、決意して生きる言葉、ココロの背骨を作れ」

胃の調子が悪く、内視鏡検査を受けた妻に語っていた、先生の言葉、薬より効くと思い私は傍で聞く、

分割民営時代、特急電車の運転士から線路工夫へ行くことを余儀なくされ、辛かったとき、

「怒ったらアカン、ウソにでも笑顔、愛する家族のために滅んだらアカン、今日だけ行こう」

あの頃、その屈辱・辛さを越えるために、決意して生きる言葉だった、今も生きている、

病院から帰り、夕暮れの古道、下調べにゆく、これからのために、

15〜16号柱、下り込みに入る近く、ツリバナの看板に出会う、燈台下暗し、16年も歩いていたのに〜

7
 598m、名はないが、きれいなピークの山

この裏手に、上秋津村がある、そこが備長炭発祥の地である、

右、モクレンの実、十丈王子下にて、モクレンの実上向きに、コブシは下向きに熟れる、


5
 高原〜十丈王子を往く、

夕暮れ迫り、旅人、健脚だったので一生懸命歩いたら

13〜14号柱、500m、5分で歩けた、咲いていた、お花載せます、







 もぅ10年を越えて続く、

中辺路小学校の鍛錬遠足の語りべ・ガイドのため、

16;00から、高原地区〜高原池までの再チェックにゆく、

11才のつもりで歩く、高原〜高原池35分、高原池〜遊歩道〜高原地区へ40分

歩いて、苦しくないときは坂の勾配が小さく感じる、そんなときは嬉しい、

モンキアゲハ、コミスジが舞い、シュウカイドウ、コマツナギ、キツネノマゴ、ニラノハナ、

ヤブランノシロ、ゲンノショウコが咲く〜、

教頭先生の声「今年は7名」におどろく、私たちの頃は2クラス80名〜


ヨッシー語りべ日記
2016年9-10月

2016年9-10月