2017年05-06月

27

 25日の風景

長州長門を故里にする、

感性智慧多き2人の旅人聖地大斎原にて、ヨッシーと写す、

この後、私の代わりにМさんのクルマで那智へ、送る終りの約束は大門坂入口だったが

那智大雨のため、Мさんもてなし精神で那智ウォーク終り後駅まで送る、これがテンヤワンヤに至る、

特急で新大阪にむかう2人だから勝浦だのに那智に降ろしてしまう、

つゆ知らない私は近露展望台で右写真のオーストラリア7名に華さんの通訳で語り、

笑顔もらって帰る、16;00過ぎ、彼女たちからрェ入る、お礼のрセと思い受けると、

送ってもらった駅は那智だったとのこと、私たちは那智も勝浦も知らない、

ここは特急電車止まらない、乗れなかった、新大阪に向えないとのメッセージ^いただく〜

このミスを越えるための奔走がはじまる、彼女やMさんと恋人ほどрナのやりとり〜、

Mさん17;00頃彼女たちと合流、白浜18;19発に乗せるためにガンバルの一報入る、

18;09入る、「間に合ったか?」「ダメ、今周参見、新大阪までクルマで送る」と云ってくるが、

こんなミスをしたMさんは疲れている、新大阪まで走らせない、代わりの選手探したがダメ

安全を考えて彼女たちにタクシーへの乗り代わり、運賃こちら持ちで私はお願いする、

彼女たち、最終特急電車19;57分紀伊田辺発で新大阪に向うからのココロくれる、

私、ホームで見送る〜ゴメンネ・ありがとう〜

10kmウォーク語りと、この事象から、帰ってから眠ってしまう、

 26日の教室

下調べせず観光学基礎授業での講師として私は教壇に立つ、

昨日の「この事象」を生徒たちにぶっける、生徒たちから、それどれの思いの対策を聞く〜、

教室でもらったメッセージ、「スケジュール変更するときは、必ず事務局・リーダーに連絡・了解・チェック、

その後動くこと」、これをアタマとココロに残し、6時間講師終了後Mさんに会い語りあう、

私たちの肥やしとする、赤リュックには倖せの風がある、


23
 AERA2017−6−26号から

 記者は「後で聞けばいぃ」かも知れないが、

それでは国民に伝わらない、会見で、私は「再調査しない理由」を繰り返しただした、

菅官房長官はぐらかそうとするが、「総理、官房長官が(再調査不要と)判断したのでは」

と云う問いには「あり得ません」と語気を強める、「現役の文科省職員の証言はウソだと思うか」

との質問には、「ウソだとは云っていない」と即座に云ぃ返すなど、菅に明らかな変化が生まれる

会見が短くなったり、制限が厳しくなったりと、

官邸のいやがらせを危惧する番記者がいたかも知れないが、

各社の主張の違いはあっても、権力監視の観点では記者側は一枚岩になるべきです、

東京新聞社会部記者望月衣塑子の質問力  素敵だょ、私も同感〜

頑張っての花束として、熊野の花ササユリを贈る、


22
 東京藝大、30名三軒茶屋跡〜本宮大社ガイドする、

雨が私の勘を越えて多く降り、100名の集いに通用した私の声が届かない、

古道、道じゃなく川になる、このメンバーのときだけは雨降って惜しくない願っていたのだけれど〜

しかし、ヨッシー語りべガイドとして勉強になりました、ありがとう、

 話しは変わるが、将棋の14才(フジイソウタ)すごいなぁ、何が凄い28連勝はもちろんだが、

記者会見での「一喜一憂せずブレずにゆく」この精神哲学を14才が持っていることがスゴイ、教えられる、

 
20

 素敵な群馬からの旅人(陶芸家夫妻)

日々のガンバリのご褒美に憧れの熊野を旅する、

そして、赤リュック・ウォークプランで旅人の荷物ボランティアで預かってくれている、

近露きっての老舗井谷商店さんの奥さん、熊野の咲いた3つの笑顔、

本宮行きバスを待つ井谷商店の休憩所で〜

17
 不思議の縁

素敵なファミリ‐首都圏から訪れてくださる、

お話し聞いていたら、この4月に友だちと2人で訪れてくれて滝尻から歩いたとのこと、

私は2011−9−04被災するまで、その滝尻にある、お店のオーナーだったことを語ると

「一緒に歩いた彼女、お店のオーナーが代わっていて残念がっていた」と云ってくる、

その言葉を聞き、お店時代に載った私の雑誌熊野古道を見せる、

その彼女はお母さんと2人で訪れて、私が熊野のことを語ったとのこと、

顔は忘れたけれど、そんなことあったような気がする、愕いたり、感動したり〜縁は不思議、



15
 
 職業支援学級に講師でゆく

12日6時間講師、13日3時間講師+昼から山ガイド、14日6時間講師

教室での語りむずかしい、達成感ヤレヤレ感のなかで甕雫一杯呑んだら

勉強もせず久しぶりに解放感のなかで朝まで眠る、

次は6月の26日から、あと6日、ありがたい

11
 夏萩、ホタルブクロ咲く、熊野、

きのうも首都圏からの旅人をガイドする、

旅人、見えなくなるまでバスのなかから手を振ってくれる、

終りに僕の欲しい風景送り届けてくれる、嬉しい、安堵しながら僕も手を振り続ける、

バスのDさんから、クルマまで歩いて帰るのだったら、バスのトイレ休憩のところまで

走って来い乗せて行ってやるからのрュれる(田舎の嬉しい空気をもらう)、

赤リュックの岩本さんも、古道近露王子に仕事に来ていて、

僕の終り待ってくれていたので、それに甘える、嬉しいものいっぱい、嬉しい、

 
7
 近露王子の杉にセッコクラン(石斛蘭)咲く、

古い茎は煎じて呑むと新陳代謝、胃の薬になることから岩薬、薬根とも云う

名前の由来は太い茎は石のように硬く、それを水甕(斛)に見立ててのこと

ギリシャ語では(デンドロビウム)樹木に着生生活するところから


6
 おめでとう、

写真、私の右前に居る女性、

JR西日本山陽新幹線博多駅の駅長になる、

道普請のとき最前線で語り聞いてくれていた彼女が・・・びっくりしたょ、

今度は、博多を集めて熊野ウォークに来てください、直向きに語りますから

JR西日本で、はじめて主要駅での女性駅長になられた富沢さまへ、



 1日、浦和から、2日川崎から、4日狛江から

赤リュック・ウォークプランに乗って、同じ時代を友に生きる

世代の人々熊野へ〜また来たいとの嬉しい声貰ったり、ココロ洗われたと云ってもらったり、

私は、次なる熊野は、幻想の風景を歩こうと誘う、マムシグサに見れる生命の意欲、

生命の意欲と云ったら自分たち人間もアメーバみたいなものから今の私たちになっていったとのこと、

そして、私たち人類の歴史440万年を地球が誕生した46億年を一日にして例えると、

人類の登場は、日付は変わろうかと云う23時58分くらいとのこと、地球誕生の永い時間に比べれば

人類瞬き程しか生きていないとのこと、その瞬きの中の瞬きの中の瞬きしか

独りとしたら生きられないのだった、

IS国に倒れた後藤健二の云っていた「言葉は世界に通用しなくとも、笑顔は世界に通用する」

その笑顔で生きていきたいものだ、そこには熊野のココロ共に生きるがあるから〜、


6/1
 赤木越えのガイド、他の山ガイドに任せて

夜勤明け、岩上峠越えを歩く、岩上分岐671m、そこから岩上北の峰720mに至る、

ピーク近く緩やかに40m程北にむかい、王子製紙の石柱から、稜線西北西に降りる、

左に高野槙群生(野村山水源灌漑用に植えている)、右に伐採跡の杉林に出会い、岩神峠に至る、

ここから左に歩くと、コクサギ、シュスラン、スズコウジュと道湯川の植物の集いに出会える、

しかし、2011年9月の12号台風以後、地割れから安全のため通行禁止とされて残念、

だけど山林伐採の入って大丈夫みたい、矛盾と不思議〜

左の古道に入らせて欲しいなぁ、植物大好き人間は歓喜の声あげるだろうに、思いながら左に降りる、

花上向きに咲くマルバウツギ載せて


30
 小雲で出会った薄桃色の野の花、イナモリソウ、

バイカツツジに出会いに、大雲取越え登山口に行くが一輪のみ

終ったのかなぁ、はじまりなのか、今年は咲かないのか迷いながら眺める、

20日連続山ガイドに行き、夜勤に入っていたら右肩凝りだした、

私の疲れた証し、31日の赤木越え、他の山ガイドにお願いする、

6月もフル稼働、ありがたい〜


29
 「熊野がわかる・なぜ世界遺産」の

赤リュックウォークプラン、人気して嬉しい悲鳴、

久しぶりに小雲取越えを歩く、知らないお花や、野竹法師に出会う、写真、百間ーから

23
 群馬からの3人娘、

山形天童から、孝行娘と一緒のヨシコチャンたち、

赤リュックとのウォークプランに参加してくれる、ありがとう、

古道、道行く人々をまもるために、道々に祀られているエネルギー、

何故大人の神仏じゃなく、王子、すなわち子どもの神仏祀られているのですか〜

感性のある、素敵な問いかけ〜古道の基本は密教、密教とは山伏、

山伏、すなわち修験道の世界では、道行く人々を守り救い給う神仏は、

子どもの形をなすとも、子どもの姿になって現われるとも考えられている、

その考えから、大人じゃなく子どもの神仏、王子を祀るとのこと、ありがとう、

ふたたび、一緒に歩かせていただけること願っておきます、

次なるときは、この風景に抱かれながら歩こう、


19
 赤木越をゆく、

タックン坂にて、いのち継ぐ 虫を止まらせ 白き花、シライトソウ、

赤木イロハ坂、ラストの長い登りの右途中に無葉緑植物、ギンリョウソウ(白い龍とも幽霊茸)

咲いていた、バイカツツジには出会えず、ありがとう、


17
 樹間庵のみなさまと

潮見峠を歩き、野立てに憩う、

お茶いただくときに、茶碗廻すのは、

正面からいただくのはおこがましく、謙虚を示した作法ココロの示しからとのこと、


16
 赤リュック、ウォークプラン企画してくださった

KNTの人々や、龍神バス企画Gと、そのコースを歩き語らせていただく、

お話しの途中くれる、ときどきの笑顔や笑い声、お別れにもらった2つの手での握手、

「次の企画では、ヨッシーパンフに載せたい〜」、嬉しい言葉、可愛い目ん玉の人から、いただく、

励みをいただき、秀衡桜や虚子の碑を後ろにして手を振る、

夜勤明け後の語り終り、ありがとう、

15
 ジャーマニィ(アントニア)とスミレ、

この荷物を担ぎ、この笑顔で熊野を越える、すごい、

出会えて、I can only sei helloの自分が残念、辞書を買う、

買っただけになるかも知れないが〜頑張ってみる、

14  
 「ほにゃ行こうか」で、今日はスタート

ユキエちゃんグループに生麦村のことを語る、

生麦村キリン工場には、そこでしか呑めないビールがあり

見学会後にだけいただけれるとのこと、独りの人毎日工場見学に参加して呑んでいる、

古老だから、まぁいぃかになっているとの、お話し聞く、

「あんたの、語り口調、今夜はアタマから離れないかも」の声もらう、

今度は標高をあげて幻想的な熊野を歩こうと、ふたたびの訪れを願っておくる、

12
 感性いただく

サカキの木が神に捧げる木になっていったのは〜

アマテラス、天の岩戸にお隠れになり太陽なくしては生きていけないから、太陽の復活

天の岩戸開を願った折りに鏡を吊るした木が、この木サカキであった、そのルーツから神に捧げる

木となってゆくと話を送る、4人の内誰だったかなぁ、「何故鏡を?」と問いかけてくる、

アメノウズメが躍り、皆が笑う、暗くて嘆いてはずなのに、不思議に思いアマテラスは岩戸を微かに開ける、

アメノウズメはすかさず答える「貴方より素晴らしい神がおられて皆は歓び躍っている」と云う、

そしてフトダマとアメノコヤネが飾っていた鏡でアマテラスを映す、アマテラスは鏡の神が自分だとは知らず

光輝く鏡の姿をより見たくって、岩戸から体を乗り出す、手力男が怪力でアマテラスの手を握り岩戸から出す、

高天原の智慧者オモヒカネノ神の天の岩戸開の作戦功を通すために飾られる、

ビール後、学びなおす、ありがとう、4人へ


11
 赤リュックのウォークプラン、

ご案内の距離は約2qだが、帰路のためクルマを近露王子に廻す

それからスタート地点「道の駅牛馬童子口」へ戻る、だから4q、たったの4qだが

終るとぐったり、集中しているからかなぁ、その後の夜勤が辛くさすのかなぁ

だけど、レベルの高い旅人が首都圏から続く、ありがたい、嬉しい、

今日も語りべガイド、そして夜勤、ガンバリます、足折れるまで、ココロ折れるまで

6
 
 5日、首都圏からの旅人をガイドする、

異文化を知り、理解しあい、そしてサヨウナラ世界から差別・戦争、

それがユネスコの、世界遺産の願い、しきたりさえ知っていたら、この悲劇は産まなかった、

「生麦事件」から語る、「熊野で生麦事件聞くとは思わなかったょ」

「神奈川からの人だから云った、お話しはこられた旅人の地域によって変える」とおくる、

ありがとう、野の花、箸折展望台石畳み周辺に咲くタニギキョウ、

3
 
 3日、東京からの旅人ミツヒコ・キョウコ夫妻ご案内する、

とても感性があって、「また来る」と云ってくれた声に「忘れない、待っている」をコダマします、

そのとき、マムシグサの生き方、学説では雄性先熟と云うのだけれど、オスからメスに

なって生きる、だからニックネームはカルセール麻紀、愛ちゃんとも呼んでいると云ったけれど、

そのマムシグサ、あわよくばと自分のオシベをばらまくために、オシベのついたキノコバエを逃がす

脱出孔(仏炎苞のしたにあるスキマ)を載せて、おりがとうです、

3
 ウォーク日和、古道中辺路ルート、発心門〜熊野本宮大社

東京、名古屋からの旅人Oグループ4名さまに語りガイドさせていただく、

一生懸命歩いてくださり、一生懸命聞いてくださり、素直に問いかけてくれる、

武士たちは、台所も手洗いも持って旅をした、貴族たちはそぅじゃなかったのか?

じゃなかった、そぅ云うものが必要な時代背景には詣廃れていったこと〜など印象に残る、

写真、伏拝王子跡茶屋にて、Oグループさまと、語りべ英語クラブのケネス・マコちゃん


ヨッシー語りべ日記
2017年05-06月